2010年4月19日
ベニート・ムッソリーニの生い立ちについて
1883年7月29日、イタリアのフォルリ近郊のプレダッピオという小村に、鍛冶屋の父アレッサンドロと小学校教師の母ローザ・マルトーニの長男として生まれた。父アレッサンドロは熱心な社会主義者で、息子にメキシコ合衆国の初代大統領で独立の英雄のベニート・フアレスにちなんでベニート、親しい間柄にして尊敬する国際主義的な革命家であったアミルカレ・チプリアニにちなんでアミルカレ、バクーニンの腹心でもあり、後にイタリア社会党に参加するアンドレア・コスタにちなみアンドレアと名付けた。ムッソリーニもこうした父の政治思想から強い影響を受けたという。
父アレッサンドロは教養高い人物であったが商売人としての才能に欠け、家計は苦しかった。ムッソリーニは粗食であったと言われるが、それはこの貧しい少年時代に身についた習慣である。洗礼は受けていなかったが(洗礼を受けたのは44歳になった1927年のことである)、9歳の時に厳格なカトリック寄宿学校に入学する。この学校では生徒の身分ごとに待遇が異なっていたらしく、ムッソリーニはここで初めて「社会の不公平さ」を実感したという(後の教会の焼き討ちはこの経験が動機になっていると考えられる)。
ムッソリーニは学校の規則をよく破る問題児で、学校で暴力事件を起こして危うく退学になりかけた事すらあったがどうにか卒業できた。卒業後は教師を目指して師範学校に入学するが、ここでもまた暴力沙汰を起こしている。しかし学業成績は非常に良く、小柄な体格ながらスポーツにも長けていたという。
青年時代
1901年に師範学校を卒業。臨時教師の職に就くが、狭い地方に閉じこもるのに嫌気が差したらしく、早々に切り上げてスイスへ出稼ぎに行ってしまった。だがスイスでの生活も上手くいかず浮浪者の罪で国外追放にされてしまうが、その後も何度もスイスへ入国している。その際、奇しくもスイスに亡命していたウラジーミル・レーニンやレーニンの秘書アンジェリカ・バラバーノフらと知り合う機会 を得て、レーニンからドイツ語やフランス語を学び、さらに知見を広める(この交流を通じて、ムッソリーニはレーニンからは「イタリアで唯一革命を指導できる人物」と政治家としての才能を賞賛され、後年のムッソリーニもレーニンを「優れたオーケストラの指揮者」と高く評価した)。
『ウィキペディア(Wikipedia)』引用
ベニート・ムッソリーニの生い立ちについて調べてみました。
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